バレンシアガ(BALENCIAGA) History
**1895-1936年 スペイン時代**
1895:スペイン、バスク地方のゲタリアに生まれる。
幼少のころから縫製師の母より服飾の技術を学ぶ。
バトロニエ、カサトレス侯爵夫人にすすめられ、サン・セバスチャンとマドリードのテーラーで修業。
1913:サン・セバスチャンのルーブル服飾店に入り、すぐにアトリエ主任となる。
1919:サン・セバスチャンに最初の店バレンシアガを開設。
スペイン王家の用達を受ける。
頻繁にパリに出て、バイヤーとしてデザイナーたちと交流をもつ。
1931:スペイン王制の崩壊。顧客が変わる。母への賛辞を込めて、店の名前をエイサと改称。
1933:マドリードにエイサの名前で2番目の店を開設。スペイン貴族を客とする。
1935:バルセロナに3番目の店を開設。
1936:スペイン市民戦争勃発。3つの店を閉鎖。ロンドンに逃れワース&M.ラフに就職をはかる。
**1937-1941年 舞台衣裳や、ドレスへと**
1937:パリに移りサン・セバスチャン時代の旧友に再会。
友人たちの援助でジョルジュ・サンク大通りに店を開き、最初のコレクションを発表。
たちまちバイヤーの注目を集める。
1938:スペインの3店舗を再開。
パリでは新聞がバレンシアガの「プチット・ローブ」を取り上げる。
映画「トロワ・ド・サンシール」のエレーヌ・ペルドリエールの衣裳を担当。
リュシエンヌ・ボガールの舞台衣裳と外出着を作る。
1939:マンボシェの併設サロンを買収して飛躍。コレクションの人気が高まる。新聞が紹介。
1940:戦争のため顧客だけに限定したコレクションを発表。
1941:アンバサドゥール座のアリス・コセアのために、スペイン・ルネッサンスに想を得た豪華なドレスを制作
同時に、ミショジエール座のエレーヌ・ペルドリエールに9着のドレスを制作。
**1943-1950年 新しい物を次々に**
1943:帽子の導入。ルグルーがバレンシアガの帽子を制作。
1944:ギヨームがバレンシアガのために考案した話題のシニョンでヘアメーキングした人形の着付けを担当
1945:「テアトル・ド・ラ・モード(モード劇場)」に参加。
1946:バレル・ラインと「闘牛士」に想を得た刺繍のボレロを発表。
最初の香水「ル・ディス」を出す。
この年、ディオールの店が開設。「ニュールック」の流行
1950:襟なしの上着、ビュコルのクラクニルを素材にしたレインコート、バルーン・ドレスを発表。
クレージュがサルバドールのアトリエに入る。
**1951-1957年 モードの革命は続く**
1951:スープレス(しなやかさ)を主題としたデザインを打ち出す。
「ターイ・フロレ(胴回りの緩やかな)」型のスーツとコート、セーラー・カラーの服
キャミソール、体にぴったり沿ったラインの詩集入りイブニング・ドレスを発表。
1953:スーツのぺプラムを切り詰め、襟元を開放。上着がしなやかに腰をおおう。
小さな髪飾り「ビル・ボックス」の考案。
カメール・スノーが「最高に趣味の良いコレクション」と書く。
1955:初めて、夏用に麻、冬用にウール、カクテル用にレースをそれぞれ使い分けたチュニックを発表。
1956:ツイードのケープ、サック・ドレスを発表。
エマニュエル・カーンとクリスチャアンヌ・バーイユがバレンシアガの店でデモンストレーション。
マルセル・カルネ監督の映画「レール・ド・パリ」のマリー・マダムの衣裳作成。
バレンシアガが他のデザイナーに1か月遅れでコレクション開催。
1957:装飾を徐々に少なくした多様なシャツ。ドレスとチュニックに登場で、モードの革命は続く。
**1958-1964年 宮廷衣裳から、スポーツウェア、靴下まで**
1958:「ベビードール」と「孔雀の尾」イブニングの発表。
アブラハムのガザールを発表。その後、バレンシアガはこの生地を頻繁に使う。
レジオン・ドヌール受賞。
1959:スーツの上着が「ボックス」型に短くなる。ウエストが高くなる。
ジャン・コクトーの映画「オルフェの遺言」のウェスウェラー夫人の衣裳制作。
1960:その才能と技術がモードを支配する。型の徹底した簡潔さと素材の豊かさ。
フォビオラ女王の婚礼衣装をマドリードで制作。
1961:裁断を工夫した着やすいコート、スルバラン風のイブニング・ドレス、宮廷の侍女のドレスを制作。
クレージュが独立。
1962:バレンシアガがマンシーニのブーツをスポーツウェアに取り入れる。
1963:ハンティング・ウェアに想を得たナティエのツイード製スーツによる現代生活向け実用的コレクション。
贅沢で多様な素材、イブニング用の刺繍。
ジャン・コクトーの「オルフェ」のために「コスチューム・ド・ラ・モール(死の衣裳)」をつくる。
1964:キルディングのふくれ織りの上下を組み合わせた、ジャガドー織りのチェックのスポーツ用靴下の発表。
エマニュエル・ウンガロがバレンシアガを出る。
**1965-1972年、最期の時までバレンシガはこだわりを持ち作り続けた**
1965:イブニング用ラメ入りサリー、レオナール製ふくれ織り(ラッケ)の年。
新聞は「バレンシアガは常に変わらぬ、そして超えることのできない自分の型を守っている」と書いた。
1966:バレンシアガが立体裁断で極度に簡潔化した9分丈のコートを発表。
比較的丈の長い物に、幅の広い毛皮の縁取りを施す。
1967:バレンシアガが最高のスーツと、パンタロンとケープのアンサンブルを発表。
型は簡略化され、純化される。
コレクションはその独創性と抜群の技術が称賛の的となる。
1968:色の鮮やかさ、輝く若さを新聞はロールスロイスになぞらえる。
これがバレンシアガの最後のコレクションとなる。
チュニックをだまし絵にして長さを錯覚させる短いモード。
エール・フランス航空のスチュワーデスの制服をデザインして、店を閉める。
スペインの3つの店を閉鎖。バレンシアガはスペインのイゲルドに引退。
1972:クリストバル・バレンシアガはハベア(スペイン)で逝く。
その直前に制作したカディス侯爵夫人の婚礼衣装が最後のドレスとなる。
生まれ故郷であるバスク地方のゲタリアに眠る。
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